クリエイティブノート

ニューヨーク近代美術館のパーマネントコレクションをはじめ、
優れたクリエイティブな世界をお届けいたします。
あなたの身近なところに歴史的にも優れたデザインやアートがきっとあるはずです。



Alphonse Mucha アルフォンス・ミュシャ(チェコ・スロヴァキア)

(1860 年7月24日 - 1939年7月14日)

アールヌーボーの頂点を極めた画家であり装飾芸術家・アルフォンス・ミュシャのクリスマスの奇跡をご紹介します。

1894年パリのクリスマスの日、きっかけは一本の電話でした。
ミュシャは知り合いから受けた校正の仕事をするために印刷所にいました。
そこへ、当時フランス演劇界の女王といわれたサラ・ベルナールが主演する《ジスモンダ》のポスター制作の発注の電話がかかってきたのです。
「新年4日からの公演に合わせて、元旦から貼り出したい」という大至急の依頼でしたが、クリスマス休暇でデザイナーはみなパリを出ていて、工房にいたのは、ポスター制作をしたことのないミュシャだけだったのです。“女神サラ”の依頼を断るわけにはいかず、仕方なくその場に居合わせたミュシャにデザインがまわってきます。

ミュシャは芝居をみるため、友人から借りた帽子と貸衣装の燕尾服で、劇場に向かいます。
翌日、舞台後に描いたスケッチに色をつけ、印刷所に持っていきます。
それを見た印刷所のルメルシェはがっかり。。。しかし、期日は目前。
作品はそのまま劇場に送られます。

ミュシャ絵は、サラ・ベルナールの目に止まりました。流れるような曲線で細部まで描かれた衣装、優美な華の冠。落ち着いた色合い。凛とした表情で目はまっすぐと上を見上げ、視線の先には手に持った一本の草花。衣装の縦のラインと草の縦のラインが、曲線の優しさの中で強さを表しています。

50歳を過ぎ、かげりが見え始めた大女優と、放浪生活を送っていた無名の画家に、運命の女神が微笑みかけました。このポスターは大評判となり、ミュシャは一夜にして脚光を浴びる存在となりました。そして、今日まで多くの人々から永く愛される絵を残すことになったのです。

ミュシャにとって、何よりも嬉しいプレゼントになったこのクリスマスの奇跡。
そんな奇跡を信じて、今年のクリスマスを過ごしてみるのもいいかもしれません。

Established&Sons エスタブリッシュド&サンズ(イギリス)


Richard Woods リチャード・ウッズ&
Sebastian Wrong セバスチャン・ロング

奇抜なカラーとノスタルジックな雰囲気で人々を惹き付けるデザインの「WRONG WOODS」。
木を題材に建築的手法を用いた大掛かりな作品づくりで知られるUKのアーティスト、リチャード・ウッズと、同じく世界的に有名なプロダクトデザイナー、セバスチャン・ロングがタッグを組み、このシリーズを開発しました。

エスタブリッシュド&サンズの始まりは、「イギリスのアイデンティティを持つ、ブリティッシュブランドを確立したい」という思いだったそうです。ロゴの下にも、「GREAT BRITAN」の文字がしっかりと掲げられています。いまや英国ばかりでなく、世界中のデザイナーがこのブランドにデザインを提供するようになりました。さらに、メーカーとして家具をつくるのではなく、プロデューサーが多くのデザイナーと工場をクロスさせ、一つの技術にとらわれることなく、コレクションを作っていくというスタイル。ものづくりが「編集・改良」という視点が根付いた現代、求めらる作品がここから発信されているかもしれません。

このロング・ウッズも、セバスチャンがリチャードのアート作品をヒントに、自らデザインした作品です。
リチャードの作品は、ジグソーパズルのように廃材使ってはめ込んだ寄せ木ですが、彼の手が加わることで、作品としてオリジナルの価値が生まれてくるのです。

今まである素材、さらに廃材となる木を使った新しいアート。これからの日本が進んでいく道のヒントが、たくさん詰まった作品です。







Jean Prouvé ジャン・プルーヴェ(フランス)

(1901年4月8日−1984年3月23日)

特徴的な幅の広い後ろ脚、三日月の様になめらかな座面のかたち。アートの様に鑑賞してしまうジャン・プルーヴェの「アントニー」チェア。
彼の椅子の中でも、最も優れたデザインと評され優雅なフォルムをもつ椅子です。
彼の家具には公共施設や学園都市のためのものが多く、これもパリ近郊アントニーの学生寮のためのデザインです。

プルーヴェは、自ら工場を持ち、いつもそこで1枚の金属を曲げるところから、ものづくりを始めたといいます。「常にものづくりの現場に身を置いて活動していたプルーヴェは、ひとつひとつの作品に手の痕跡を残すことにこだわり続けました。彼の作品には、家具から建築まで、そこに一貫した独自の構造システムがあることに気づきます。プルーヴェはスケッチをものすごく早く正確に描き、全体像からではなく、柱や梁などから描いていきます。形よりも先に「しくみ」を考えたのです。

プルーヴェは自らを「コンストリュクトゥール(施工者・建設者)」と呼びました。それは建築家とかデザイナーといった肩書きに縛られず、自分でデザインし、設計し、施工するというスタンスの現れでもあります。

家具も建築も「しくみ」が形として現れた結果。
特徴的な幅の広い後ろ脚も、人が後ろにもたれかかって座ったときの構造力学から考え出された形なのです。

少し無骨な形さえもチャーミングに見えてしまうのは、プルーヴェならではです。

Luis Barragan ルイス・バラガン(メキシコ)

(1902年3月9日−1988年11月22日)

バラガンの建築は心に響く。
メキシコの風土、気候と調和しながらも、圧倒的な存在感がある。

類いまれにない感動的な光のドラマを仕掛けたこの礼拝堂。
暗から明、閉塞から開放、そして五感での体験を重視したバラガンの技が多分にみられる。

1952年頃、バラガンは修道院の改装の依頼を受けた。
敬虔なカトリック信者であったバラガンはそれから約8年かけ、じっくりとこの建築に取り組んだ。

早朝、黄色く塗られた東側のガラスを通して、朝日が礼拝堂に差し込んでくる。光は初め正面のオレンジ色の壁面上端に当たっているのだが、太陽が昇るにつれ、徐々に下へ移動する。水がゆっくりと注ぎ込まれるように、光は明るさを増していく。しばらくすると光が黄金の祭壇に当たりはじめ、礼拝堂の中は黄金に輝き出す。時は一瞬だけ止まり、永遠が顔を出す。

自然の美しさを巧みに操ったこの作品。見ているだけで、活気に満ちあふれてくる、そんな魅力を持っている。

Frank Lloyd Wright フランク・ロイド・ライト(アメリカ)

(1867年6月8日−1959年4月9日)

かつてマリリン・モンローとジョー・ディマジオも泊まり、世界のセレブを迎えた日本最高のホテルは、ル・コルビュジェ、ミース・ファン・デルローエと共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれるフランク・ロイド・ライトによって設計された。

鷲が翼を広げたような巨大なホテルは、天才ライトの独自の工法が採用され一部に倒壊があっても全体には累を及ぼさない仕組みになっていた。関東大震災でも比較的軽い被害ですんだ。

しかし、天才のひらめきが生み出した工法は、地震には耐えたが、建物の寿命を縮める原因ともなっていた。建物は沈下し続け、中央1階事務所は半地下室のようになり、廊下は客室係がワゴンを使えないほど波打っていた。門塀などに使われていた大谷石を初めて建物のメインの材料として採用したのも、ライトの天才的ひらめきと説明されていた。大谷石は加工しやすく、安価でしかも堅牢。しかし風化が早く、雨水が気候に溜まり夜に氷結すると表面が剥がれていった。

現在、日比谷の帝国ホテルでライトを鑑賞できるのは、オールド・インペリアル・バーだけである。
時代の大きな変化と、天災、戦争を経験し、業の深い宿命を背負った素晴らしき建築は、たった44年で取り壊された。

帝国ホテル・ライト館は、正面玄関だけが移築・復元され、明治村でのんびりと余生を送っている。内外装とも美しく修復され、大谷石やテラコッタが施された意匠の濃密さと変幻自在さに圧倒される。

自然とうまく共存することは、日本という国の宿命である。どんなに素晴らしい技術・科学・建築物も、自然と調和しなけれは、残らない。過去を振り返り、これからを考えさせられる「帝国ホテル・ライト館」に、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。