Vincent Van Gogh ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ (オランダ)
(1853〜1890年)
1886年3月ごろ、ゴッホはパリを訪れます。
ゴーギャン、シニャック、ベルナールなど印象派に続く若い世代の画家たちに出会い、交流し、議論を交わしました。
ゴッホは自らを含めたこのグループを「プチ・ブールヴァール(裏通り)」の作家と呼び、その革新性を讃えます。
印象派の影響を強く受けたゴッホが、芸術家のユートピアを創ろうと夢にあふれていた時代。
そのユートピアのリーダーは、自分ではなくゴーギャン以外にはあり得ないと考えていました。
1888年2月、ゴッホはゴーギャンとの共同生活を夢見て、南仏アルルにやってきました。
「南仏の自然は、フェルメールの絵の中の、空色と黄色の組合わせのように柔らかで魅力的だ。」と言わせるほど、彼に強烈な印象を与えました。
そこで「黄色い家」を借り、精力的に製作に取り組みました。
しかし、精神に異常をきたしたこともあり、ゴーギャンとの共同生活はわずか2ヶ月で決定的な破局を迎えてしまいます。
しかし、アルルに滞在した15ヵ月の間に、「ゴッホとしての色彩」を獲得し、この作品「夜のカフェテラス」を頂点とする200点にものぼる作品群を生み出したのです。
実はこの作品は、夜、外で描かれました。
「彼は帽子のつばにロウソクを付けて描いた」という伝説さえ生まれたほどです。
この絵のなかの石畳は、星明かりだけでなく、カフェのテラスからもれてくるガスランプの灯りにも照らされて、ピンクや紫の色合いを帯び、テーブルは、円盤状に輝いてリズムをつくっています。
画面右の樹はアクセントとなり、また目を凝らすと、画面中心からこちらに向かって馬車がやってくることに気付くでしょう。
ゴッホが妹に宛てた手紙によると、
「ランタンが素晴らしい黄色の光を放ち、店の正面やテラス、歩道、道路を照らしている。
切り妻造りの家々は、星が散りばめられた青い空の下の道が暗がりへ続くように、暗い青やすみれ色、そして緑色の木が配されている。
この夜の絵には黒は使われていない。
美しい青、すみれ色、緑、周辺は淡い黄色と淡黄色の緑を用いた。」と述べています。
また、この絵は、ゴッホにとって「色褪せた青白くみすぼらしい光のある因習的な黒の夜から脱する唯一の方法」とも言われています。
ポスト印象派の画家でありながら、筆触を見れば表現主義の創始者と言われるほど激しく個性的で、色彩や作品の主題から、象徴主義的といわれるほど深遠かつ論理的です。
ゴッホは、時代とともに生き、そして時代を先取りしてしまいました。
生前、ゴッホの絵は生涯でたった1枚しか売れませんでしたが、今やその波乱に満ちた人生も含め、世界中の人々の心を動かし、魅了し続けています。
2012/11/31
CUTLER AND GROSS カトラー アンド グロス (イギリス)
イギリスを代表する老舗眼鏡ブランド「カトラー アンド グロス」は、オプティシャン(検眼医)だったグラハム・カトラー氏と、トニー・グロス氏のふたりにより、 1969年にロンドンで誕生しました。
当時のロンドンには、伝統社会に存在する厳格な規律と抑制に反発を覚える若者たちが溢れ、より個人を表現することを求めていました。眼鏡もその表現のひとつとなり、それまで視力矯正のための医学的アイテムであった眼鏡をファッションに一部として捉えた、アイウェアの歴史においても重要なブランドです。
コレクションは全てハンドメイド。音楽や芸術、ファッションなど多くのことからデザインの発想を得ています。モールドを使っての大量生産の時代の中にありながら、ブランド名ではなく、眼鏡をかける人自身の要望にスポットを当て続ける創立者ふたりの哲学が隅々まで行き渡っています。
「眼鏡がかっこいいからかけるのであって、太陽が眩しいからではない。誰にどんなものが似合うかという規定はなく、眼鏡で自分を隠したがる人もいれば、自分の個性を表現しようとする人もいる。」とカトラー氏は言います。
時間の経過の中で、普遍性と独自性を持ち続ける「本物」だけに許された「ヴィンテージ」という言葉。常に「情熱とパーソナリティを眼鏡に」という精神に忠実に創られてきたふたりのハーモニーが生み出したこの眼鏡は、「ヴィンテージ」の名にふさわしい逸材として世界中に影響を与え続けています。
2012/10/31